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国語を教えて(旧ブログからの転載記事です)

2021/10/05

引き続いて、旧ブログからの転載記事です。
昔のブログを引き続いて転載しているのは、今も昔も考えがぶれていないからです。およそ10年前から同じことを考えて指導をし続けているのだと思うと、少々感慨深いものです。
今回は2012年2月7日の記事からの転載です。(一部省略、修正しています。)

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「国語を教えて何を伝えるのか」
ということについて思ったところを書いてみたいと思います。

話が長くなりそうですが、簡潔にまとめます。
「良い本を読んで、いいなと感じてもらいたい」

本当はこれに尽きるのかなと思います。

子供達と文章問題を取り組んでいても、読書感想文の読書指導をしていても、子供達の頭の中には「話の中でどこが大切なのかな」という宝探ししかないように思うことが多々あります。そんなことで本当に国語の勉強っていいのでしょうか。

きれいなものを見て、きれいと感じること。悲しい話を聞いて、悲しいと感じること。つらい経験をして、つらさを感じること。こういうことと同様に、良い話を読んで、素直に良いなと感じることができて、良い本から、良いエッセンスを得ることできれば、生きていく道すがらの景色にいろいろな彩を持たせることができ、潤いのある人生になるのではないのでしょうか。

「良い本を読んで、いいなと感じてもらいたい」
この域に達するために、いろいろな訓練があるのでしょうね。そのあたりのことをもっとしっかり伝えていければ、国語専科・小春学院はもっといい学びの場になるのだろうなと思ってみたのでした。

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補足です。

国語の指導の中には「○○○の後に、文章のキーワードが書かれている。」「文章の始めと文章の終わりの段落に、文章の大切なところが書かれている」というように、文章の一部を切り抜いて、「ここが大事」ということだけを教え込もうとする指導者がいます。たしかに、そうだねという部分もあります。しかし、それならば、ある主張をしようとるする筆者はいちいち長々と文章を書いたりせず、「私はこう考える」とだけ書けば、自分の主張は伝えられるのです。それをなぜせずに、長々と文章に書きしたためるのでしょうか。それは、筆者の思っている、考えていることを読み手にわかってもらいたいからです。部分をとって、ここだけとするのではなく、始めから最後まで丁寧に読んで、文脈の中からひっそり垣間見える宝石のような素敵な内容に出会えると、それは心躍るような気持ちになるでしょう。文章を素直に読んで、素直に分かることが、まず国語の学習の取り組みで大切なことだと思われます。

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